NotenkiExpress 2013

お天気,競馬,2時間サスペンスドラマなどに関するメモ書きです。

七夕の白石川の惨事

東北本線の東白石駅付近から見える白石川に「○○殉職××」というような碑があり,ずうっと気になっていたのですが,半年あまり前「ナゾは解けたよ,ワトソンくん」または「謎はすべて解けた」(笑)

簡単にいうと,1922年7月7日,つまり86年前の今日,小野さつき訓導(22)に連れられた宮尋常小学校4年生56人が白石川の河原で写生中,何人かの悪ガキ児童が川にはいった。そのうち3人が増水した川に流され,小野さつき訓導はそのうち2人を助けたが,3人目を救出中に力尽きて殉職した……という事件です。

詳しくは次のサイトなどをご覧ください。
小野さつき訓導の御遺徳/阿武隈川流域の記念碑

事故の第一報は意外と小さく,7月8日付河北新報

女教員と兒童溺死
女教員の屍體のみ發見せるも 兒童死體は行衛《ママ》不明

とあるだけです。

ところが,次の日になるとデカデカと取り上げられるようになり,全国的なブームを巻き起こすことになります。

亡くなったこともあるでしょうが,小野訓導の責任を追及する声は少なくとも表面的にはほとんどなかったようです。また,今だったら引率教師1人だけの責任ではなく,学校そのものの管理の責任(早い話が校長や教頭の責任)が問われるところですが,当時の新聞にはそのあたりの記事は一切ありません。うまく逃げたようです>校長&教頭

小野訓導の亡骸に対面したとき「よくぞ死んでくれた。もし子どもさんを死なせてお前が生きていたら村の人にお詫びのしようがなかった」といった(いわされた?)とされる父の政治さんは,この年の8月12日に娘のあとを追うように亡くなっています。社会に対しかなりの心労があったことは想像に難くありません。

おまけ。1922年7月11日付東京朝日朝刊に次のような見出しの記事があります。

小野訓導に愛された少女悲しんで發狂
同居してた學校前の家の娘
會ひ度い會ひ度いと毎日病床に泣き叫ぶ 美しい生前の面影

なんでも,下宿していた家の16歳の病弱な少女を実の妹のようにかわいがっていたという話です。

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