NotenkiExpress 2013

お天気,競馬,2時間サスペンスドラマなどに関するメモ書きです。

暴風雨の中の惨劇その後

1949年9月3日朝8時半ごろ,隅田川に男の死体が浮かびました。 男は荒川区南千住一〇の一四〇都営住宅在住斎藤作次(61)。

どこかで見た名前。そう,
http://blog.notenki.net/2006/08/post_4ec9.html
の事件のあと姿を消していた被害者の父親です。

以下,当時の新聞より。

去る一日荒川区南千住一〇の一四〇都営住宅内露天商斎藤作次(六一)長女登美子(二〇) さんが自宅四畳半で絞殺されていた事件につき警視庁捜査一課では南千住署と協力, 前夜から姿を消している父親作次の行方を探していたが三日朝八時半ごろ同都営住宅裏の隅田川に水死体となって発見された
検視の結果死後卅時間以上を経過しており, 死体の首にはこぶし大の石三個を入れたズツクの鞄が細ひもで縛りつけてあつたので娘を絞殺し無理心中をとげたものとみられる。 生活苦から前途を悲観したものらしい(9月4日付読売)

首に娘を絞め殺したのと同じ麻ひもを二重に巻き,その先にズックの手提げカバンに子供の頭大の石三つ, 鉄ビンのふたなどを入れてつるし河に飛び込んだらしく遺書はないが最近商売不振のうえ妻を戦災で失くし息子が未復員で父娘の二人暮らしでさびしがつていた点などからあらしの夜発作的に無理心中したものと見られる (9月4日付毎日)

ということで,暴風雨の中の惨事は無理心中ということで幕が引かれました。

ただ,どうも腑に落ちない点があります。作次はどこから隅田川に飛び込んだのでしょうか。 少なくとも新聞記事からではわかりません。家のすぐ裏から飛び込んだのだとすると,いくら滑走斜面側とはいえかなり下流に流されるはずです (何かに引っかかったというのなら別ですが)。増水していたことも考えに入れると,かなり上流から飛び込んだと考えざるを得ません。でも, かりに岩淵水門より上流に飛び込んだとすると,荒川放水路(現,荒川)から東京湾に出たはずです。

まあ,今さら考えてもどうにもなりませんが。しかもシロウトの考えることですし。ただ, 捜査が尽くされたかどうかは疑問です。