宇治川のマッチレース
元暦元年一月二十日(ユリウス暦で1184年3月4日),ところは宇治川仮設競馬場。
雪解け水で増水している宇治川を前にして出走取消または競走除外となる馬が続出,結局,佐々木四郎高綱が騎乗する生喰《いけづき》
と梶原源太景季が騎乗する麿墨《するすみ》のマッチレースになりました。
天候は晴,馬場(?)コンディションは稍急流。
好レースが繰り広げられると予想されましたが,高綱の「やとの梶原殿,此河はやうある河ぞ,上も下も早くて馬の足いく程ならず,
はるびのびたるとみゆるぞ,しめよかし」のひとことで景季が腹帯を締め直している間にスタートが切られてしまったため,
レースは生喰が主導権を握る形で展開しました。途中,麿墨が川の流れに脚を取られて下流側にヨレるというアクシデントも手伝い,
生喰の圧勝に終わりました。
いちおう
宇治川の先陣競走は,発走時,麿墨号が大きく出遅れた件について審議いたします。……
との審議放送が流れましたが,通過順どおりに確定しました。
勝ち馬の生喰の血統はというと……まったく不明(笑)
どう間違ってもサラブレッドやアングロアラブでないことだけは確かでしょう(笑)
体高は約145cmと伝わっています。
これはいまのサラブレッドの160~170cmと比べるとかなり小さくてポニーといわれるサイズですが,
当時としてはこれでも大型馬だったそうです。
写真は宇治川先陣之碑。