樽見京一郎が津軽海峡に投身自殺
樽見京一郎なる人物が津軽海峡に投身自殺したのが今日9月8日だそうです。
これは水上勉の『飢餓海峡』の中での話で,樽見京一郎は架空の人物だと思います。
「だそうです」とか「と思います」とか自信なさげに書いているのは,実はσ(^^;)は『飢餓海峡』を読んだことがないからです。以下はネットからかき集めた『飢餓海峡』のストーリーに基づいて書いたものです。多少の誤りはご容赦ください。映画も混じっているかも知れません。
1947年9月20日,“台風10号”の嵐の中で北海道の岩内で質店一家3人が惨殺される事件が発生。そして大しけの海で青函連絡船「層雲丸」が転覆,530人が犠牲になります。
1947年といえば,カスリーン台風が有名です。この台風による被害の一端については首都を水没から守れ!!~1947年カスリーン台風~をご覧下さい。
カスリーン台風は当時の発表ではこの年11番目の台風ですが,中央気象台的には9番目の台風だったようで,今流にいえば台風9号となります。したがって9月20日の台風10号というのは番号的には合っていますが,北海道を襲ったという事実はありません。
このように,災害を勝手にデッチ上げるとつじつまが合わなくなります(笑)
もちろん,この“台風10号”が1954年の「洞爺丸台風」をモデルにしていることは明らかです。この台風では洞爺丸を含む青函連絡船5隻が沈没,1430人の犠牲者が出ました。また,岩内で大火が発生しています。
どうしてわざわざ1947年にタイムシフトさせたのでしょう? σ(^^;)は原作を読んでいないし読むつもりもないのでよくわかりませんが。
ところで,洞爺丸台風が描かれている作品に三浦綾子『氷点』があります。印象的なのは次のシーンです。
……ふいに近くで女の泣声がした。胃けいれんの女だった。「ドーシマシタ?」宣教師の声は落ちついていた。救命具のひもが切れたと女が泣いた。「ソレハコマリマシタネ。ワタシノヲアゲマス」宣教師は救命具をはずしながら,続けていった。「アナタハ,ワタシヨリワカイ。ニッポンハワカイヒトガ,ツクリアゲルノデス」啓造は思わず宣教師をみた。しかし啓造は救命具を宣教師にゆずる気にはなれなかった。……
この話がそのまま事実だったかどうかはわかりませんが(少なくとも“啓造”は実在の人物ではないし),上前淳一郎『洞爺丸はなぜ沈んだか』や田中正吾『青函連絡船 洞爺丸転覆の謎』などに,沈んでいく船内での3人の宣教師の崇高な振る舞いが紹介されています。このうち,いちばん若かったドナルド・オースが奇跡的に生還しています。
ちなみに,一昨年の11月にテレビ朝日で放送されたドラマ「氷点」では,この場面がまったく無視されていました。この場面がどう描かれるのかにしか興味のなかったσ(^^;)は,もちろんそこでチャンネルを変えました(笑)