二ツ玉低気圧と磐光ホテル火災(1969年)
1969年2月3日に台湾沖に発生した低気圧は,本州南岸沿いに北東に進み,5日午後には三陸沖に達しました。一方,4日朝,日本海西部に別の低気圧が発生し,急速に発達しながら5日朝には津軽海峡を通過しました。2つの低気圧はオホーツク海南部でひとつになり,カムチャッカ方面に去っていきました。
この2つの低気圧の影響で,5~6日にかけて中部・関東地方以北で強い風が吹き,北海道では暴風雪となりました。全体で死・不明62,負傷82,家屋損壊117,船舶沈没・損傷1085などの被害が出ています。
もちろん,当時の新聞には“台湾坊主”が使われています。例えば,
“台湾坊主”陸にも被害
(6日付朝日新聞朝刊)
記事の中に「“春一番”を思わせる強い風が吹き荒れた」とあります。東京の最大瞬間風速は23.1m/sで基準を十分に満たしているのですが,風向が北西だったため,これでは春一番ではありません。もっとも,当時は春一番の基準が必ずしも明確ではなかったので,今さらどうでもいい話です。
同じ記事には,蒲郡市で5日15時50分ごろ,突風でコンクリートブロックが倒れ,ちょうど塀沿いの道を歩いていた女子中学生3人が下敷きになり,2人死亡,1人重体という事故も載っています。このコンクリートブロックを所有していた山本織布会社の管理責任はどうなったのでしょうか。
さて,この低気圧による強風が吹いていた5日21時10分ごろ,福島県郡山市熱海町の磐光パラダイス1階の大広間で,客寄せの目玉だった金粉ショーの小道具として用意されたベンジンにストーブの火が引火しました。初期消火に失敗したため,折からの強風と乾燥も手伝って火はみるみるうちに広がり,磐光パラダイスとそれに隣接する磐光ホテル,レストハウスが全焼し,死者31人,負傷者41人,焼損面積15511m^2という大惨事となりました。