ある火災の都市伝説
AD1932/12/16 日本橋の白木屋百貨店で初の高層ビル火災。死者14人,重軽傷者130人
この火災に関して,次のような伝説があります。
このときまで日本の女性は“下着”を着ける習慣がなかったために女子従業員が高所から飛び降りることができずに焼死したものが多かったという
広く信じられているようですが,ちょっと調べてみると,Wikipediaなどにもあるとおりデタラメであることがわかります。
伝説のもとは,12月23日付東京朝日新聞に掲載されている白木屋の山田専務の談話――:
女店員が折角ツナ或はトヒを傳はつて降りて來ても,五階,四階と降りて來て,二,三階のところまでくると下には見物人が澤山雲集して上を見上げて騷いでゐる,若い女の亊とて裾の亂れてゐるのが氣になつて,片手でロープにすがりながら片手で裾をおさへたりするために,手がゆるんで墜落をしてしまつたといふやうな悲慘亊があります。
記事の見出しには「裾の亂れを氣にして むざむざ死んだ女店員」とありますが,σ(^^;)が新聞を調べた限りでは,ロープから手を離して転落死した人はひとりもいません。
注目しなければならないのは,白木屋のおエラいさんの談話だということ。おそらく,火災をタネにして洋服と下着で大々的に儲けようとする白木屋の魂胆に迎合したヨイショ記事なのでしょう。
伝説の決め手となったとされる「婦人よ,ズロースを忘るな」という見出しの12月23日付の都新聞の次の記事にしても,事実上の白木屋の広告に違いありません。
猛火に追われた女逹が咄嗟の塲合にロープ又は帶を繋ぎ合せて,降下運動を試みた瞬間,ズロースを穿いてゐぬために,下から煽られる風に裾が捲れ「アツ」といふて身づくろひする途端兩手がお留守となつて,命綱ともいふべきものを放し,慘死したことも聞きました,……
『中央区史』にはこの火災について,なぜか約5ページにわたって詳細に記述されています。「明治四十三年の水災」や「大正六年の風水災」よりも多いページ数です。伝統的な“下着説”に基づいています。
ところで,この火災とは関係ありませんが,与謝野晶子の『晶子詩篇全集』にある「女は掠奪者」という詩に白木屋が登場します。(青空文庫 Aozora Bunkoにあるテキストデータを使わせていただきました)
大百貨店の売出《うりだ》しは
どの女の心をも誘惑《そそ》る、
祭よりも祝《いはひ》よりも誘惑《そそ》る。
一生涯、異性に心引かれぬ女はある、
子を生まうとしない女はある、
芝居を、音楽を、
茶を、小説を、歌を好まぬ女はある。
凡《おほよ》そ何処《どこ》にあらう、
三越《みつこし》と白木屋《しろきや》の売出《うりだ》しと聞いて、
胸を跳《をど》らさない女が、
俄《には》かに誇大妄想家とならない女が。……
与謝野晶子って,バーゲンおばさんだったんだあ……(笑)
なお,直接関係ありませんが,与謝野晶子と台風との関わりについては能天気Express~新世界版~ 与謝野晶子と「颱風」をご覧下さい。
ついでに,白木屋では他に次のような事件が起こっています。
白木屋の屋上から 飛降り自殺を遂ぐ
廣告塔上でタオルで目隠して 失戀の關西青年か
―1929年10月27日付東京朝日―
白木屋から幼女転落
七五三の祝着を買ひに来て
―1929年11月15日付東京朝日―
破鏡の女 飛降りて“殺人”
白木屋屋上から 宝くじ売り場の上に落ち
―1954年9月14日付朝日―
~(N)2007.12.16~